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日韓併合100周年について (4)

〔承前〕

昭和40(1965)年6月22日、東京。この日、日本側の椎名越三郎(しいな-えつさぶろう)外相・高杉晋一首席代表と、韓国側の李東元(イ-ドンウォン)外務部長官・金東祚(キム-ドンジョ)特命全権大使の日韓両国全権により、『日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約』が調印され、同年12月18日に発効しました。これが所謂(いわゆる)『日韓基本条約』と呼ばれるもので、この条約の発効により、日本と、明治43(1910)年8月29日の日韓併合以来、日本の一部であり、戦後の昭和 23(1948)年8月13日、南朝鮮に独立建国した韓国との間に正式な国交が樹立されました。そして、『日韓基本条約』により、日韓両国は互いに相手国に対する賠償(補償)請求権を放棄。日本は韓国に対し、それに代わる措置として、『財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定』(通称『日韓請求権並びに経済協力協定』)に基づき、無償金3億米ドル(当時の為替レート1ドル=約360円から換算して約1,080億円)・円建て有償金2億米ドル(同約720億円)・民間借款3億米ドル(同約1,080億円)、合計8億米ドル(同約2,880億円)にも及ぶ莫大な資金供与と融資を行いました。韓国側はこれを「財産と対日請求権問題解決における賠償及び補償と経済協力」であると位置付けましたが、現在の我々には想像すら付かないかも知れませんが、当時の韓国は日本統治時代に重工業地帯として開発された北朝鮮に国力で大きく水をあけられた世界屈指の最貧国で、その韓国に対して日本は「独立祝賀金と途上国支援」の名目で巨費を供与したのです。(日本が供与した無償金3億米ドルは、当時の韓国の国家予算3億米ドルに匹敵した)

扨(さて)、この様に『日韓基本条約』の締結により、日韓両国は互いに相手国に対する賠償請求権を放棄、国家、個人の別無くこの問題は完全に決着済みの筈でした。実際、韓国側議事録に於いて、個人の賠償請求権は完全に解決されている旨謳(うた)われており、日本が供与した資金を韓国政府が自国民への補償にどれ位使ったかと言う問題は、はっきり言えば韓国の「内政問題」であり、それらが「流用」されて「漢江(ハンガン)の奇蹟」と呼ばれる韓国経済の発展が為された事で、個人補償がなおざりになったからと言って、そのつけを日本が払わねばならない理由は本来何処(どこ)にもありません。然(しか)し、盧武鉉(ノ-ムヒョン)政権以降の韓国では、所謂「従軍慰安婦」や樺太(からふと)残留韓国人、韓国人被爆者に対する補償は別問題であるとか、条約により「法的な賠償責任」は決着済みだが「道義的な賠償責任」(とは言え、結局は「金銭的補償」なのだが)は今尚、日本にある等と言う主張が当然の如く為されています。然し、前回の小論(『227.日本が認めて困るのはお前達の国だ!! ── 韓国側主張の日韓併合条約無効論を斬る!!』)に於いて、韓国側主張の『日韓併合条約』無効論を日本が認めて困るのは、実は韓国側であると指摘したのと同様、『日韓基本条約』や『日韓請求権並びに経済協力協定』を破棄して、補償請求権問題を蒸し返されて困るのも、実は日本側では無く韓国側なのです。と言う訳で、今回は、カネの絡んだこの問題に付いてメスを入れてみたいと思います。

『日韓基本条約』や『日韓請求権並びに経済協力協定』により決着済みの補償請求権問題を蒸し返す事で、日韓孰(いず)れが深刻なダメージを被(こうむ)るのか? これは、結論から言えば日本側では無く韓国側です。では、それは一体どう言う事なのか? 韓国 ── 嘗(かつ)て「大韓帝国」と呼ばれていた ── は、明治37(1904)年8月22日締結の『第一次日韓協約』により、日本政府の推薦者を韓国政府の財政・外交顧問に迎える事を約し、翌明治38(1905)年11月17日締結の『第二次日韓協約』(『日韓保護条約』・『乙巳(ウルサ)條約』共呼ばれる)により、日本による外交権接収・保護国化を受け容(い)れ、更に、明治40(1907)年7月24日締結の『第三次日韓協約』により、内政権も日本に接収され、明治43(1910)年8月22日締結の『日韓併合条約』により、韓国は日本と合邦(がっぽう)、「大韓帝国」は地図の上から消滅しました。この一連の動きをコリアンは一方的に、帝国主義下の日本による朝鮮半島に対する侵略と強制的併合と断罪しますが、私は彼等(かれら)に対し、ちょっと待って呉(く)れ!!と言いたい。そして、日韓併合後、彼等言う処の「日帝三十六年」の間、日本は朝鮮半島を蹂躙(じゅうりん)し、彼等コリアンを苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)搾取に搾取し、塗炭の苦しみを与えたと言う史観に疑義を唱えたい。そして、その一つの傍証として、以下に幾つかの「数字」を提起したいと思います。

日本の朝鮮半島への財政負担
(崔基鎬著『日韓併合 ─ 韓民族を救った「日帝36年」の真実』より)
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上の表は日韓併合前後の韓国(併合後は朝鮮と呼称)の財政に対する日本側負担額を表したものですが、『第三次日韓協約』が締結された明治40年から日本が韓国を併合した明治43年迄のたった4年間に限ってみても、韓国政府の歳入に充当、計上された金額は約1億400万円。仮に当時の1円が現在の2万円に相当するとして計算すると・・・当時の約1億400万円は現在の金額にして、凡(およ)そ2兆1千億円!! 然(しか)も、併合後も、公債や借入金、補充金の名目で日本本国政府から朝鮮総督府に対し、歳入の3分の2に相当する金額が補填(ほてん)されていたのです。コリアンは「日本の植民地支配により搾取された」と主張していますが、これ程の巨費を「植民地」に補填し財政を支えた「宗主国」(本国)は世界広しと雖(いえど)も大日本帝国しかありません。繰り返しますが、コリアンは「日本の植民地支配により搾取された」と主張しています。然し、私から見れば、「『日帝三十六年』の間、搾取されていたのは日本人の方だ!!(「植民地」に「宗主国」がカネを毟(むし)り取られていた!!)」と言わざるを得ません。

朝鮮と同じく総督府施政下にあった台湾に於いて、今尚、人々から慕(した)われている一人の日本人が居(い)ます。その名を八田與一(はった-よいち)と言います。土木技師であった八田は、台湾南部、嘉南平野の灌漑(かんがい)整備の為、現在、「珊瑚潭(さんごたん)」の美名で呼ばれる当時世界最大のダム、烏山頭(うさんとう)貯水池の建設に尽力。戦後、台湾が国民党政権に統治される様になっても、彼の業績は現地民から高く評価され、彼の命日である5月8日には毎年慰霊祭が行われている程です。それに引き替え、八田に勝る共劣らず尽力したにも関わらず、その業績が現在の韓国に於いて全くと言っても良い程、評価されていない人物が居ます。その名を目賀田種太郎(めがた-たねたろう)と言います。彼は明治37年締結の『第一次日韓協約』に基づき、日本政府が韓国政府に派遣した財政顧問ですが、彼の下(もと)で破綻(はたん)寸前であった韓国財政救済の為、前述の通り、日本からの莫大な財政支援が為(な)されたのです。その内容はと言えば、日本国民の「血税」(税金)から韓国政府に対し、無利子・無期限の資金を立て替え、例えば、明治40年度に於いて、僅(わず)か748万円しか無かった韓国の国家財政に対し、必要な歳出額3,000万円以上との差額、2,300万円を日本が拠出負担すると言う具合で、日本の財政的支援が無ければ、体制(王朝であり国家)の維持すらままならなかったと言うのが現実でした。然も、司法・警察・駐留日本軍の経費も全て日本の負担(現在、駐留米軍に対して日本が負担している所謂「思いやり予算」に相当するものを、当時の日本は一円たり共韓国に求めては居ない)で、正(まさ)に日本は「保護国」であった韓国を、文字通り「保護」し続けた訳です。そして、目賀田の後(あと)も日本は朝鮮の財政を支援し続け、明治43年から昭和19(1944)年迄に日本政府が発行した公債の総額は21億6,566万円(日本銀行調査統計局出所の企業物価戦前基準指数を基に計算。664.6(平成21年)÷3.503(昭和20年)=189.723倍。詰まり、昭和20年当時の1円は現在の凡そ190円に相当。これを基に現在の金額に換算すると約4,115億円)。その内、償還された額は7億2,595万円(同約1,380億円)なので、未償還額は14億3,971万円(同約2,735億円)と言う事になります。更に、立替金その他日本からの直接支出及び補充金を合わせると、その総額は実に20億7,892万円。

朝鮮に対する日本の投資額
(崔基鎬著『日韓併合 ─ 韓民族を救った「日帝36年」の真実』より)
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現在の金額に換算すると、何と、3,950億円!! そして、この莫大な金額の請求権を日本は『日韓基本条約』締結に際し放棄。然も、単に放棄しただけで無く、有償・無償合わせて8億ドル(約2,880億円) ── 企業物価戦前基準指数(664.6(平成21年)÷359.4(昭和40年)=1.849倍)を基に現在の金額に換算して5,325億円もの巨費を韓国に対して供与・融資した訳で、とどの詰まり、日本は韓国に対して、「借金返済を全額免除してやった挙げ句、借金額以上の御祝儀迄包んでやった」訳です。詰まり、視点を変えれば、現在の韓国が対日請求額をどの位見積もるのか分かりませんが、日本は、当時「世界屈指の最貧国」であった韓国に対し、凡そ4千億円にも上る対韓請求額(後述するがこの金額が全てでは無い)をまともに請求すれば、経済発展を阻害するどころか、国家財政の完全な破綻により文字通り韓国が滅亡する事を充分弁(わきま)え、「韓国の為に互いの賠償請求権を放棄」する道を選んだと言えるのです。(若(も)しも、互いの請求権を認めた場合、日本が韓国に支払う金額よりも遙かに莫大な金額を、韓国は日本に支払わなければならなかった) その事を知ってか知らずか、現在の韓国は正に言いたい放題ですね(苦笑) 然し、補償請求と言うものは何もカネだけとは限りません。モノもあります。

現在、朝鮮半島に張り巡らされている幹線鉄道網。例えば、首爾(ソウル)と仁川(インチョン)とを結ぶ京仁線(けいじんせん/キョンインソン 総延長38.9Km)や、首爾と釜山(プサン)とを結ぶ京釜線(けいふせん/キョンプソン 総延長450.6Km)、首爾と新義州(シニジュ)とを結ぶ京義線(けいぎせん/キョンウィソン 総延長499.3Km)は孰れも韓国(大韓帝国)が日本の保護国であった時代 ── 詰まり、日韓併合以前に日本の資本と技術の全面的支援によって建設されたものです。又、現在は北朝鮮領ですが、咸鏡南道長津郡(ハムギョンナムド-チャンシングン)の赴戦江(ふせんこう/プチョンカン)ダム(昭和元(1926)年着工、昭和5(1930)年完成 発電能力:50万kW)・長津江(ちょうしんこう/チャンジンガン)ダム(昭和10(1935)年着工、昭和12(1937)年完成 発電能力:33万kW)、平安北道(ピョンアンプクド)の鴨緑江(おうりょくこう/アムノッカン)にある水豊(すいほう/スプン)ダム(昭和12(1937)年着工、昭和19(1944)年完成 水力発電能力は当時世界最大級の64万kW)と言ったダム及び大規模水力発電所が次々と建設され、朝鮮半島の電力需要を賄(まかな)ったのですが、これらは全て「日帝時代」に着工・完成したもので、その建設に尽力したのは日本窒素の専務を務めた大実業家・野口遵(のぐち-したがう)。そして、当然の事乍(なが)ら建設に当たっては日本の資本が惜しみなく投下されたのです。この他にも、道路網、水利・灌漑設備、港湾設備、電信・電話と言った近代的インフラが次々と整備され、朝鮮半島は「日帝三十六年」の間に李朝時代からは想像も付かない程の変貌を遂げました。然し、今日(こんにち)、これら各種インフラが恰(あたか)もコリアン自身が独力で整備したが如く捉えられており、「日本の尽力・貢献」は全く以(もっ)て評価されてはいません。これは一日本人としても、どうしても納得がいきません。祖先の偉業が評価されるどころか、逆に「過去の植民地支配に対する補償」等と言う妄論をコリアンが声高に叫ぶのであれば、我々日本人もこう声高に叫ばねばなりません。「『日帝時代』に整備された各種インフラの建設費を日本に返還せよ!!」と。

ダム・水力発電所にしろ、道路網、水利・灌漑設備、港湾設備、電信・電話にしろ、孰れも憎(にっく)き「日帝」の産物なのですから、旧朝鮮総督府庁舎を破却したが如く、全て破壊し元の状態 ── 早い話が更地(さらち) ── に戻したら如何(どう)か? 其処迄(そこまで)完膚無き迄「日帝時代の残滓(ざんし)」を排除した上で、やれ反省だの、謝罪だの、補償だのと言うのであれば、多少は聞く耳も持ちますが、「日帝時代の遺産」の上に胡座(あぐら)をかいた状態で、日本に対し過去に対する補償をせよ!!と言うのであれば、日本も正々堂々とこう言えば良い。即(すなわ)ち、「日本は韓国に対する補償に応じる。但し、韓国も対日債務約4千億円及び、日本が残してきた資産を返還せよ!!」と。韓国側は軽々(けいけい)に対日賠償請求権云々と話を蒸し返しますが、いざ日本が本気で、この問題に応じた時に困るのは日本側では無い。寧(むし)ろ、韓国側なのだと言う事を認識しておく可(べ)です。でなければ、後(あと)で吠え面(ほえづら)をかく事になるでしょう。この事を韓国民・韓国政府に対し、老婆心乍ら御注進申し上げつつ、本小論を締め括りたいと思います。

 余談(つれづれ)

2009(平成21)年度の韓国国家決算に於ける一般・特別会計総歳入額は、261兆3千億ウォン(約21兆8,500億円)。それに対し、終戦時、日本が朝鮮半島に残してきた総資産は約891億2千万円と言われています。これを前述同様、企業物価戦前基準指数(664.6(平成21年)÷3.503(昭和20年)=189.723倍)を基に計算し直すと、現在の金額にして何と約17兆円!! 詰まり、簡単に言うと、「終戦時、日本が朝鮮半島に残してきた総資産は、現代韓国の一般・特別会計総歳入額にほぼ匹敵」する事になります。これ程の巨額共なると、バブル全盛期の日本であったとしても、おいそれと払える金額ではありません。翻(ひるがえ)って、債務の清算方法は大まかに三通りあります。第一は地道でも何でも「返済」していく道。第二は物納等の「財産差し押さえ」。そして、第三は債権者による「債権放棄」或(ある)いは債務者による「自己破産」と言う道です。きちんと返済していくのであれば問題ありませんが、第二・第三の道を選択するとなると話は変わってきます。国家が「自己破産」すれば、その国の信用は地に堕(お)ち、当然、その国の通貨での決済は認められず、事実上、外国との貿易も困難となります。では、第二の道 ── 詰まり、「財産差し押さえ」となるとどうなるのか? 国家予算に匹敵する巨額共なると並大抵のモノでは差し押さえの対象にすらなりません。そうなると、最終的には「土地の明け渡し」=「領土の割譲」と言う事になるのでしょうが、金額が金額ですから、最早(もはや)、一国の領土全てを割譲せざるを得ないでしょう。となると、「第二の日韓併合」と言う事にでもなるのか? いやいや、たった35年間の統治ですら、ある事無い事言う民族・国家なのですから、形式が「併合」にしろ「合邦」にしろ、一日本国民として、二度と一つの国になるのは御免被(こうむ)りたい。こちらから願い下げですね。 (了)

(ウェブ『帝國電網省』歴史再考より、平成22年9月5日発表小論「『日韓基本条約』に反する対日賠償請求権を日本が認めて困るのは韓国側だ!!」)

竹下義朗 TAKESHITA Yoshiro

by ayanokouji3 | 2010-09-08 18:53 | Comments(0)  

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