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日韓併合100周年について (3)

〔承前〕

前回の小論(『来月が「日韓併合100年」なら猶の事、「植民地支配」に対する「おわび」等一切不要!!』)に於いて、今月29日に迫る日韓併合100周年に付いて論じましたが、その『日韓併合条約』(正式名称は『韓国併合ニ関スル条約』)に付いて韓国側は、時の首相(李完用)が条約に調印、皇帝(純宗隆煕皇帝 スンジョン-ユンヒファンジェ;右写真)ですら臣民(国民)向けに併合に関する勅諭(ちょくゆ)を公布しているにも関わらず、『日韓併合条約』は無効であり、それに基づいて行われた日韓併合も当然無効 ── 日韓両国の同意に基づく合邦(がっぽう)では無く、嫌がる韓国を日本が一方的に併合 ── との主張を繰り返しています。それどころか、韓国側は、日清・日露の両戦争すらも、韓国併合と大陸進出に不可欠な「侵略戦争」だった等と主張しているのです。(実際には、清国・ロシア帝国の孰(いず)れも当時の超大国であり、新興国でしか無かった日本にとって、両国との戦争は侵略どころか国家の命運を賭けた無謀な戦争だった。そして、この両戦争に勝利した事で、初めて日本は列強の仲間入りを果たした) 韓国側の主張は(日本側にとっての「正しい歴史認識」に基づく)日本にとって、到底受け容(い)れられるものではありません。何しろ、韓国側の主張する「正しい歴史認識」とやらは歪曲と捏造で塗り固められ、虚構に満ちた「砂上の楼閣」でしか無いのですから。然(しか)し、此処(ここ)は一つ大人になって、百歩譲って韓国側が主張する様に、「日韓併合条約は無効」であり、「日清・日露戦争も韓国併合の布石」だった事を認める事にしましょう。すると、誠に以て不思議な事に、日本側よりも寧(むし)ろ韓国側にとって極めて深刻な問題、然(しか)も、それは国家の存立にも関わる大問題を惹起する事になるのです。と言う訳で、今回は、『日韓併合条約』が無効であり、日清・日露戦争の歴史的意義をも否定した場合、韓国が直面する歴史問題に付いて論じてみたいと思います。

先(ま)ず第一に、『日韓併合条約』を無効とした場合に韓国が直面する問題に付いて取り上げましょう。韓国 ── 正式名称「大韓民国」は、昭和20(1945)年8月15日、彼等(かれら)言う処の「日本の植民地支配」から解放後、その3年後の昭和23(1948)年8月15日(実際には8月13日)に米軍政下の南朝鮮に建国。大統領を国家元首に戴(いただ)き、立憲共和政体を採る共和国(民国)です。然し、此処で若(も)しも本当に『日韓併合条約』が条約として無効であり、それに基づいて行われた日韓併合をも無効であるとした場合、現在の韓国は自己矛盾に陥り、国家(現体制)の存立自体が危機に晒(さら)されてしまうのです。これが一体どう言う事かと言うと、若しも、明治43(1910)年8月22日に『日韓併合条約』が調印されず、同条約に基づいて行われた同年8月29日の日韓併合も無かったとしたら・・・時の「大韓帝国」はその後も存続していた事になります。(但(ただ)し後述するが、若しも日本が併合していなかったとしても、矢張り韓国は、その後、独立を維持出来なかっただろう) 「大韓帝国」と言う以上、憲法の有る無しに関わらず、皇帝を国家元首に戴く君主制国家です。すると、大統領制の立憲共和政体の現体制とは相容(あいい)れない事になります。然も、日韓併合を無効とした場合、現実の歴史に於いて日韓併合が行われた明治43年8月29日以降も、形の上では「大韓帝国」が存続した事になる訳で、現在の「大韓民国」の存立根拠は崩壊します。更に困った事には、彼等コリアン言う処の「日帝の七奪」の一つ、「国王」(皇帝)にしても、李朝王族の子孫は決して絶えて居(お)らず、ましてや、李源(イ-ウォン)と言うれっきとした当主(初代王・太祖から数えて30代目)すら居(い)るのです。(但し、少数派乍(なが)ら、李源の叔母で宗族最長老の李海瑗(リ-ヘウォン)を「大韓帝国女皇」として推戴する勢力も居る) となると、李明博(イ-ミョンバク)大統領を国家元首に戴き、金台鎬(キム-テホ)首相率いる内閣が国政を預かる現在の「大韓民国」政府は総退陣を強(し)いられ、李朝王族の当主である李源を皇帝に戴く「大韓帝国」を復活せねばならなくなります。果たして、現在の韓国民はこれを受け容れる事が出来るのか? いや、言い方を変えれば、その「覚悟」があるのか?と言う事です。口では、日韓併合は無効だの、「日帝の七奪」だのと言うものの、民族として皇帝を即位させ、帝国の復活を図る気概があるのか? それも無しに、軽々に日韓併合無効だ等と口にするな!!と言いたい訳です。

扨(さて)次に、日露戦争に於ける日本の勝利(明治38(1905)年9月5日の『日露講和条約』(ポーツマス条約)調印により終結)の結果、既に日本の保護国と化していた大韓帝国は、その5年後の明治43年8月29日、日本に併合された。詰まり、日露戦争の結果、日韓併合が決定的となった、と言うのが韓国側の歴史認識である訳ですが、これとて、当時の国際情勢をまるで無視した論理でしかありません。時は遡(さかのぼ)りますが、明治28(1895)年4月17日、下関に於いて日清戦争に終止符を打つ講和条約 ── 所謂(いわゆる)『下関条約』(『日清講和条約』が正式名称であり、下関の旧称を採って『馬関条約』共言う)が締結され、戦勝国である日本は清国から戦時賠償として、台湾及び澎湖諸島、そして、遼東半島の割譲を獲得します。然し、此処で「待った」を掛けた国がありました。フランス共和国(第三共和国)、ドイツ帝国(第二帝国)、そして、ロシア帝国の欧州三ヶ国です。この三国が明治28年4月23日、日本に対して行(おこな)った勧告が世に名高い「三国干渉」で、終戦直後で国力に余裕の無かった日本はこの勧告を涙を呑んで受け容れ、清国に対し遼東半島を返還したのです。然し、その3年後の明治31(1898)年3月27日、「三国干渉」に名を連ね、日本に対し遼東半島の清国への返還を勧告した当のロシアが、あろう事か、清国との間に『旅大租借条約』(『旅順・大連租借条約』共言う)を締結。遼東半島の南端に位置する戦略的要衝、旅順と大連を25年間の期限で租借。更に同年5月7日には『続訂旅大租借条約』を締結し、ロシアは同地域及び満州に対する勢力拡大の強化を図ったのです。清国に勝利した当時の日本の最大の仮想敵国はロシアでした。欧亜に跨(またが)る広大な国土を有し、強大な軍事力を誇る超大国。その超大国ロシアがシベリアから満州に勢力を拡大、遂には渤海(ぼっかい)湾に面する不凍港(年間を通じて海面が凍結しない港湾)の旅順と大連を手に入れたのです。この儘(まま)、手を拱(こまね)いていては、満州から更に南下し、朝鮮半島をも侵蝕するのは、最早(もはや)時間の問題であり、そうなれば、次は日本がロシアに併呑されると危機感を抱いたのです。その結果、日本は国際社会の大方が「日本必敗」(日本はロシアとの戦争に敗れ、植民地にされる)と予測した無謀な戦争 ── 日露戦争に突入。大方の予想を覆し、超大国ロシアに勝利したのです。扨、三国干渉から日露戦争に至る経過を記した訳ですが、この話と朝鮮半島とがどう関連すると言うのか? 関連は大ありなのです。若しも、日本が日露戦争に勝利していなかったら? いや、勝利云々以前にロシアと戦争をしていなかったら? 朝鮮半島は一体どうなっていたでしょう? 考える迄も無い事です。ロシアは満州から南下し、100%朝鮮半島を植民地化していた事でしょう。そうなれば、日本語教育と同時に、ハングルを用いた民族語教育も行(おこな)った朝鮮総督府の施政とは異なり、ハングルや漢字の使用は一切禁止され、表記はキリル文字(ロシア文字)のみ、使用言語もロシア語と言う、中央アジアの旧ソ連圏諸国やモンゴル国(外蒙古)と同じ道を辿(たど)った事でしょう。

最後に、日清戦争と朝鮮半島に付いて述べます。韓国側は日清戦争を、朝鮮半島を巡って日本と清国が争ったものであり、戦争に勝利した日本が清国の影響力を排除し、朝鮮半島の植民地化を加速したものとして捉えていますが、それはある意味「正しく」、ある意味「間違って」います。何故なら、当時、まだ「大韓帝国」と名乗る以前の李氏朝鮮 ── 自称「大朝鮮国」 ── は独立国では無く、国際社会からは清国の属国、いや「一地方」としてしか見なされていませんでした。だからこそ、明治新政府下の日本が明治9(1876)年、李氏朝鮮との間に初めて締結した条約『日朝修好条規』の第一款に、わざわざ、「朝鮮國ハ自主ノ邦」との文言(もんごん)を入れ、明治28年4月17日締結の『下関条約』の第一条に於いても、「淸國ハ朝鮮國ノ完全無缺ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス」と念を押すが如く謳(うた)った訳です。詰まり、これらが指し示す現実は、若しも、日本が日清戦争に勝利していなかったら? 勝利云々以前に清国と戦争をしていなかったとしたら、朝鮮半島は依然として清国の属国若しくは「一地方」の儘であり、清国が欧米列強に半植民地化されていく過程で、朝鮮半島も又、日本以外の列強(その最有力候補は前述のロシア)により植民地化されていたであろう事は疑う可(べ)くも無いのです。この様な事を書くと、コリアンは烈火の如く憤(いきどお)るかも知れませんが、当時の国際情勢と朝鮮半島の置かれたポジションから見ると、たとえ日韓併合が為されなかったとしても、独立を堅持出来た可能性は万分の一も無かったと言う結論に至るのです。

以上、日清・日露の両戦争から日韓併合に至る過程を見てきた訳ですが、結果はどう転んでも朝鮮半島の独立喪失に繋がったとしか言い様が無く、韓国側の「自分達に都合の良い」歴史認識が如何に甘いものであるかを如実に物語っている訳です。そして、李氏朝鮮がロシアの植民地になっていたなら、ロシア革命により本国であるロシアが赤化されたが如く、朝鮮半島も又、ソビエト連邦の一部、若しくは東欧諸国や嘗(かつ)て「モンゴル人民共和国」と称したモンゴル国同様、ソ連の衛星国として、北緯38度線以北どころか半島全域が共産主義国となっていた事でしょう。それは、とどの詰まりが、現在の民主共和政体の「大韓民国」はこの世に誕生せず、党と軍が力を持つ北鮮同様の一党独裁専制国家が半島全域を支配し、人民は塗炭の苦しみに喘(あえ)いでいたかも知れなかったと言う事を意味しているのです。孰(いず)れにせよ、「日韓併合」と言う歴史的事実を、自分達に都合良く解釈せず、過去の「歴史」をあるが儘に捉え直し、何故、国家の独立を喪失するに至ったのか?を冷静な目で検証し、現在、そして将来に活かす方策を見付ける方が、余程(よほど)、韓国とその国民の為になると思うのですが如何でしょう?

8月10日、歴史に無知で暗愚(あんぐ)な菅直人首相(及び仙谷由人官房長官以下、菅内閣の閣僚)が、わざわざ閣議決定と言うプロセスを経て迄して、『日韓併合百年に関する内閣総理大臣談話』なるものを発表しましたが、それで溜飲を下げているようでは韓国の将来も、先が見えたも同然です。「未来志向の韓日関係」等と言う前に、先ずは自国・自民族の嘘で塗り固めた「歴史」をきちんと清算する所から始める可きでは無いのか? 他人(日本)の問題(歴史教科書問題や靖国問題等)に口を出す前に、先ずは自分達の問題を解決する方が先決では無いのか? 毎度々々、「歴史認識問題」を蒸し返す韓国に対し、この事を御注進申し上げ、本小論を締め括りたいと思います。

(ウェブ『帝國電網省』歴史再考より、平成22年8月11日発表小論「日本が認めて困るのはお前達の国だ!! ── 韓国側主張の日韓併合条約無効論を斬る!!」)

竹下義朗 TAKESHITA Yoshiro

by ayanokouji3 | 2010-09-08 18:37 | Comments(0)  

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