議論の収め方について
小生は日頃、低い社会の人々と接する機会が多いこともあって、議論を挑まれることがあるが、その大半は言い掛かりであり、主張に根拠のないものである。
その一方、議論の目的が彼等(かれら)が口に出して述べることではなく、別にあることを知っている。
低い社会の人々は、これ迄に幾度となく虐(しいた)げられて来た経験から、率直に目的と対象を明らかにすることを控える傾向にある。
議論を収めるには、彼等の欲(ほっ)するものを与え、認めることが最速の手段であり、正論を押し通すことが出来ないことに、彼等が低い社会の人々であることを再認識するのである。
その一方、議論の目的が彼等(かれら)が口に出して述べることではなく、別にあることを知っている。
低い社会の人々は、これ迄に幾度となく虐(しいた)げられて来た経験から、率直に目的と対象を明らかにすることを控える傾向にある。
議論を収めるには、彼等の欲(ほっ)するものを与え、認めることが最速の手段であり、正論を押し通すことが出来ないことに、彼等が低い社会の人々であることを再認識するのである。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
by ayanokouji3 | 2009-03-16 21:17 | Comments(0)